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2月 1日(水)
朝から仕込みをする。今日のメニューはビーフのロースト、野菜サラダ、パイナップルチャーハン、クラッカーにチーズとプチトマト、卵とイクラ、またはキャビア乗せ、サーモンはバターと玉ねぎと二色のピーマンにマッシュルームでラップして焼き上げる予定、オープンは四時半にローストビーフを焼き始め、サーモンを焼くガスは何回付けても火がつかなかった。しょうがないからマイケルが帰ってくるまで待つしかない。ニールがなんとかガスコンロ用の長いライターを持って来てくれて、7時の少し前にやっと着いた。
招待客が一人、二人と次々やって来た。料理もでき上がった物から随時出していった。スチュアート以外全員到着した。ローストビーフも出来上がり、味わって見たが上々のできだった。ワインがビーフを柔らかく仕上げていた。最後のデザートはカステラに苺とカスタードクリームをかけて食べてもらった。簡単な上評判もグッド、全部残らずにみんな食べてくれた。サーモンは8時過ぎになってやっと出来上がり、みんなはもうお腹いっばいのようだった。魚が大好きなポールとピーターが食べたいがもうお腹いっぱいというので、持ち帰りにしてもらった。マイケルがスピーチし、僕がみんなにお別れの挨拶をした。10時過ぎ、みんな帰って行った。マイケルと少し片付け、残りは明日にする事にして、とても疲れたので早めに寝た。
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2月 2日(木)
8時過ぎても、疲れてすぐに起きられない。でも良かったみんな喜んでくれて楽しいパーティーだった。マイケルもホストとして面目が保てたし、みんな満足して帰った。こちらが一生懸命に作った料理がみんなに通じたから良かった。今回の滞在でお世話にった人達ばかりだから、午前中は後片付けをする。特に台所周りを中心に洗い物、オーブン、ガスレンジを綺麗にした。ビーフもチャーハンもサラダもあるので、帰るまでもう作る必要がなくなる。午後は冷蔵庫の中、それからリビングの掃除。一日かけて綺麗に元通りにした。
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2月 3日(金)
マイケルは午前中仕事。終わってからまたレースで600キロの旅、午前出掛ける時、モールまで送ってもらい。銀行の口座を閉じた。もう使う事もないから、残ったお金を下ろした。それから家まで歩いて帰った。午後1時ぐらいニールと一緒に帰ってきて、それから忙しく荷造りして旅たった、ニールとその甥の三人でレースに出るそうだ。私が去る頃まだマイケルは帰って来ていないのでお礼と別れを言った。午後は家でのんびりと過ごした。1日のパーティーの残り物で帰る日まで食べる分があるから、作らなくても済みそうだった。パーティーを早めに開いてよかった。じゃないと残ってもったいない。足りないといけないからついつい作り過ぎるのは反省しなくては
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2月 4日(土)
今日がキャンベラでの最後のレース、天気予報を見ると強くはならない感じで微風。11時半にアンドウが迎えに来てくれた。それからYMCAへ、ピーターが艤装の準備をしてくれた。もう一人のピーターも来ているが風がないから出る予定はないようだ。一時半桟橋からレース海域へ、自分のセールは綺麗に洗ったから、今日はマイケルのセールを使っている。
ここキャンベラの風のアップダウーン、シフトが激しいのでいつもトリムを変えなければならないので、いい練習になる。風が時々来ては消え、しばらく無風の時もある。今日もいつものように上下三回のアンクロ周り、2時スタートは風が弱すぎて延期に、それから何回かマークの打ち直しをしてやっとレース開始、2.4は一番最初のスタート、スタートはピーターより遅れた、それから離されないように着いていった。2上でピーターを捕らえ、北に変った風を早くキャッチできたわが艇は一気にピーターを抜いた。その後大分離したが最後ののぼりで風がまたばったりと止み、ピーター、アンドウ達が追いついて来た、幸いこっちにもやっと風が入ったので、一直線ゴールへ、そして7秒差でついにピーターに勝った、それもキャンベラでの最終レースで、やっとYMCAのロゴ入りのグラスが一個もらえる。三種類の中から私はとってがついているグラスを選んだ。
帰りピーターの車の中でマイケルに報告、マイケルも喜んでくれた。マイケルの方もトップのようだ。明日の空港行き、マイケルが戻れなかったらピーターが送ってくれるそうだ。キャンベラでの最後のレースでピーターに勝って1位になった、一筋の光が見えたからとても嬉しい。ポールがレスキュー艇に乗っていたのですぐ駆けつけてくれて祝福してくれた。レース後ピーターはクルージングしょうとアンドウと三人で湖を一周した。そして、湖に囲まれた建物を一つずつ紹介してくれた。マリーナに戻った時、表彰式は既に終わっていた。夜、レース結果を日本に知らせる。最終日1位で終れてよかった。 |
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2月 5日(日)
10時40分にポールとキャロラインが車で迎えに来てくれた。まずはキャンベラのナショナルズーへ、4回もオーストラリアに来たのにオーストラリアにだけある動物は見た事もないと言ったから、動物園に来る事になったと思う。日曜日のせいか人が多いような感じがする。といっても日本のような大きい感じではない。オーストリッチ、エミュー、ウォームバット、タスマニアデビル、など2時間ぐらいかけて歩いた。それからセーリングでもキャンベラのシンボルでもあるテレコムの塔に登り、そこからいつもの湖やキャンベラ全体がよく見える。その中でのレストランで食事をした。
カンガルーが昼寝でもしているのか動物園で見られなかったから、ちょうどメニューでカンガルーがあって美味しいよ、試しに食べたらと勧められた。食べて見たら、思ったより食べやすくて美味しかった。動物の独特の臭みも感じなかった。食べ終わって、湖を見るとヨットが大分出て、2時からCYC(キャンベラヨットクラブ)のレースが始まる。タワーから見ると風がよく見える。湖のどこに風が下り、そこからどういうふうに広がって行くのが手に取るようにわかる。ポールと僕があまり見続けるので、キャロラインが博物館に行こう!そこでも見えるからと言った。そして山を降りる。
博物館はとてもモダンな作りで、ちょうどCYCの向えでセーリングすると必ず見る。湖でセーリングしていると必ず見かけるのであるが、中に入るのは初めて、入り口で広い場所でしばらくレースを観戦、今日も昨日のように微風でシフティー、見ている側だと気楽なもんで、やっている方は大変で風もないのになんとか必死で船を動かそうとする。
しばらく観戦したあと博物館に入る。アボジニ人の歴史、英国からの歴史、オーストラリアの昔、現在そして未来。キャロラインはせっかくここに来たからめいいっぱい見ようとする。ポールはほどほどで帰ろうよという感じ、キャロラインが言うもんだからしょうがないなぁって感じで付き合っている。博物館を出ると戦争記念碑を通り、あまりにも多いのにびっくりした。オーストラリアはいろんな戦争に参加していたのが驚きだった。マンテンセルフに登ると、町全体の設計はこの山の線から出発しているのがよくわかる。湖の方からはよく見たが山から見るのは初めてだった。キャンベラが人工都市であるのがよくわかる。山を降りると周りにある政府の建物や大使館をドライブした。その中で一番ださいのが日本だった。本当にセンスがないなぁと思った。どうしてそうなったのか不思議でしょうがない。
それからポールの家に、これまた広くて大きな家、ついこの間までポール一人が住んでいた。奥さんが仕事でスリランカーから戻ったのでいまは二人、子供はみんな独立しているので、広いリビング、書斎はセーリングとヨット関係の物ばかり、2階は全部寝室で7部屋もあるそうだ。そこでポールが食事を作り、メルボルンのピーターを思い出した。美味しいシーフードを食べて、家に送ってもらったのがもう10時過ぎだった。本当に楽しい一日だった。ちょうどマイケルもレースから帰った所だった。昨日レースで勝った事を言ったら喜んでくれた。マイケルの方も優勝したようでニールが大喜び。それから僕は荷造り、なんにもしていなかったから、そして荷造りが全部終ったのが夜中の2時前だった。
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2月 6日(月)
7時前に起きる、昨日全部荷造りをしたので今朝は片付けだけ、シーツなどを洗濯機に、それから冷蔵庫の中をきれいにして、洗い物を洗い。最後猫にえさをあげた。8時半に空港へ途中でちょっと渋滞したが9時ちょっとには空港に着いた。チェックインが終ったら、セキュリティーエリアを通過して待っていると、チーフパイロットが来て、自分の足でタラップに上がらないと乗せられないと言う。小型機なので4段ぐらいのステップしかないので手で上がれると言ったらだめだという。地上のスタッフがシドニー経由で行くならできるからどうするかと尋ねた、どうするもないだろう、それしか方法がないならそれに従うしかないのだからと言った。高いチケットを買いなおした。オーストラリアもまだまだの部分があると知った。
マイケルはすべてが納まった所で帰った、いろいろ楽しかったと言ってくれた、こっちもお世話になったとそこでマイケルと別れた。11時半のシドニー行きに乗り、それからターミナルで4時半まで待って、その間グラムにやっと連絡が着き、空港に一度行き、メッセージがわかった所だった。それからまた1時間でニューキャッスルに着き、グラムが待っていた。空港から20分ぐらいの新興住宅地に4年前から住んでいる。まず敷地が広いのと家は平屋だがとても長く、一部屋ずつ大きい、リビングもひろく、おまけに広い作業場がある。いまは大きな机を作っているようだ。その内日本庭園も造る予定とか。建物が広い上、建物の倍以上ある庭が両サイドある。中庭は花がいっぱいできれい。天気はとてもいいがやはり暑い、キャンベラと変らない暑さ、家のすぐそばに池があって庭の延長戦上にあるので、自分の家の庭の一部のようだ。一休みするとグラムはカンガルーを見に行こうと、ハリーと二人一匹で出掛けた。5分もかからない内にゴルフコースの中でのんびり草を食べているカンガルーを発見、さらに10分ぐらいドライブして、住宅街の行き止まりの所で20匹ぐらいの集団と出会う、感激の瞬間、その中小さいの大きいの、親の袋から子供が顔を覗かせているのも、車が近寄っても怖がらずにいる。キャンベラでやっと見たのがここでは頻繁に見られる。カンガルーがこんなに人の近くにいるのがびっくりした。それから家に帰って昼食、自分の滞在中の食費ぐらいは自分で出したいからグラムに渡そうとしたが受け取ってくれない。日本に行った時はみんな出してくれるから、日本から来る友達も同じようにしている。だから遠慮しないでいいからと、感謝。
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2月 7日(火)
一夜明けて、今日はとても風が強くて、空はどんよりとしていて、昨日とうってかわって涼しいから今日は過ごしやすそう。ハリーは夜中にベッドに入って来てしばらく寝ていたようで、朝起きたらドアがちゃんと閉まっていた。どうやって入ったのだろうかと不思議でしょうがない。グラムは朝5時にはおきているようでさっそくハリーがボール遊びをしょうとせがむので庭に出てボールを投げては拾って帰る20回ぐらいで疲れるようなのでそこでやめる。
朝食グラム家は各種シリアルを混ぜて食べる。食後グラムはボート作成の講習会に行く、僕はメールチェック。それからまたハリーがボール遊びに付き合い、遅れている日記を書く。グラムは1時間ぐらいで帰って来た。日程を一週間間違っていたから早く帰って来た。二度目ハリーとボール遊びをする。グラムとアボジニ人のボート作りのコースを見に行こうとドライブがてらで行く、アボジニ人の部落はやっぱり他に比べると家と家の周りが落ちる。着いた時はもう講習会が終ってそろそろ帰る所だった。みんなに紹介され見学をして帰った、途中で牡蠣のミートパイがあるから買いに行こうと、今日は牡蠣がなくて、代わりにカレー入りのを食べた。これも結構いける、日本もこのパイを気軽食べられるようにしたらきっと売れると思う。ハリーはドライブが大好きで助手席の窓に顔を乗せて外を見るのが好きのよう。木の枝を探してきては投げてと遊んでほしいといわんばかり。午後はニューキャッスル市内をぐるっと案内してもらった。川口に近くなる都市があらわれ、今日は風が強いから海も荒れている。川口はそんなに広くないが大型貨物船が鉄鉱石を運んでいるようだ。
沖にも多くの船が待機している。海から入るとすぐ防波堤がある。その外はビーチになっている。今日は赤旗が立っているから遊泳禁止。それから崖の縁が山になっていて、高級そうなマンションが建っている。ショッピンモールがある市内の建物の多くは古く、趣がある。昼食はモールで大きなサンドイッチを食べてから家に帰った。グラムの家は長方形でとても使いやすく、庭も広くて綺麗、すぐ家の外は池もあるからいろんな鳥が来る。何せオーストラリアには広い土地があるのだから、夜はテレビを見て、グラム家は9時過ぎから10時には寝る。朝は5時ぐらい作業場でキントレしている。僕は部屋で本や新聞と日記を書き、早い時間に寝た。 |
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2月 8日(水)
6時過ぎに起きた。グラムはセーリングクラブのある湖に連れて行ってくれた。湖はキャンベラより広く、島もないのでセーリングしやすい。広い湖の中でヨットクラブはセールアビリティーだけのようだ。こんなに広いのでもっとヨットクラブがあってもいいと思った、後でわかったが他にも湖と川や入り江でいい場所があるようだ。明日はセーリングができると。暑いが風があるからとても過ごしいい。裏庭で花に囲まれて、池に水を飲む鳥たちを見るのが楽しみ。メールを出したり、日本のニュースをチェックする。グラムはいま大きなテーブルを作っている。表にサンドペーパーで削り、オイルを何回か塗って仕上げている。十数人が同時に坐れる、日本じゃ邪魔でしょうがない感じになるのがここは広いからそんなに大きく感じない。4時頃グラムの友達がシドニーから夫婦でやって来た。夕方グラムが入っているロータリクラブの会合に参加する。そこで夕食が出されたシーフードのフライに野菜サラダにフライトポテト。私もごちそうになった。それからいくつかの議題が上げられ、8時頃に家に戻った。テレビを少し見て寝た。グラムの所に来て、早寝早起きしている。 |
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2月 9日(木)
6時半ぐらいに起きる。今日セールアビリティーの活動があるので、一緒に参加する事にした。グラムは友達を案内して、午後合流する事になる。9時過ぎ、湖に向かう昨日行ったおおきなダム湖、まず事務所に行き、広い公園の敷地内、事務所のドア窓を開け、ドックからヨットを出し、レスキューボートも艤装して、それを全部ボランティアのおじいちゃんたちがしている。
午前は障害のある施設の子供たちが来て、引率の先生に従って動き、風はとても弱く、太陽はかんかん照りだったので、午前は見学。午後は中学の子供たちのプログラム。使用料を取っているので活動資金になる、学校はできないセーリングを科目に加える事ができる。日本も早くこんな形で運営ができればと思っている。中学生が来る間に湖に出た。風は超微風で太陽はかんかん照り、中学生が来たので交代して、グラム夫妻とその友達も来て一緒に昼食。3時ぐらいに家に帰った。あまりにも汗臭いので、シャワーを浴びた。グラムの友達はみんなに別れを告げ、ブリスベンを目指して行った。その後日本人のようこさんが見え、ひさしぶりに日本語を話した。三年前にワーキングホリデーで来て、オートラリア人と結婚してこっちに住んでいる。日本料理の店に勤め、他にホテルの清掃もしている。どこにいてもお金を稼ぐのには大変のようだ。グラムから私が来ているのを知って、忙しい仕事の合間に会いに来てくれた。感謝。その後も友達が来て、5時過ぎやっとみんなが帰った。グラム夫婦も疲れ少し休んでいた。私は庭で自然鑑賞、サンダーストームが来て、強い雨が降り、そして通り過ぎて行った。それまでの暑さが一気に飛んで、涼しくなった。夜はテレビを見て過ごした。 |
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2月10日(金)
5時過ぎに起きる。昨日の雨がきいて今日も涼しい。グラムの奥さんロレッターさんは看護師をしている。週3日働いて4日休むそうです。今日は3時から夜の11時で明日は7時から16時、明日は早めに出て私を送ってから出勤する予定。朝洗濯をする、これでシドニーでの滞在は洗濯しなくてもいい。午後グラムはドライブに連れて行ってくれた。ニューキャッスルの美しい海岸線と入り江を回った。改めてオーストラリアの大きさに感激。地平線に続く砂浜に地平線に続く森。そのスケールの大きさ、ラッキーカントリーと言われる所以。入り江が多い所では牡蠣を養殖している。牡蠣のハンバーガーを買いに行こうとグラムが言い出して、それから10数キロを走る。牡蠣のハンバーガーはどんな感じだろうと想像つかなかった。グラムが買ってくれたのを見るとなんという事はないハンバーガーの肉の変りに牡蠣のてんぷらが入っているだけでした。
それから家に帰り、夕食はグラムが作ってくれた、奥さんが仕事の時は必ずグラムが食事を作る。家事はしないのかと思ったが人は見かけだけで判断してはいけないと思った。グラムがパソコンのスカップを使っていて、国内でも海外でも利用しているそうだ。いわゆるIP電話で日本と台湾に掛けてみたが本当にとても安い上音質もいい。寝る前に荷造りをする、スーツケースはほとんど使わない物を入れていたので、すぐ片付け終わった。
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2月11日(土)
いろんな体験したいからシドニーへは電車にした。シドニー駅からホテルはタクシーにしょうと思った。5時に起床、グラムが作る朝食を食べ、6時ちょっと前に奥さんの車で市内へ、駅には20分ぐらいで着いた。それからすぐ切符を買って17ドルと安いのにびっくりした。来るのも電車にすれば良かった。ヘルプが必要と駅員に言ったらすぐ電話をしてくれて、数分後係りの人が来てくれた。ロレッターにお礼を言って、ホームに入った。6時半定時に電車はホームを出て、シドニーに向かう、2時間40分の電車の旅はとても楽しかった。飛行機では早すぎて見る事ができない景色も電車で堪能する事ができた。荷物がもっと少なかったらもっと電車を利用していた。電車の中から眺める自然を見るとこの国はほんとうに広い。9時10分に予定通りシドニーセントラルに到着、駅ビルはとても古いが車椅子のアクセスには問題がない、ホームに到着すると係りの人が待機していた。セールとスーツケースを持ってもらってタクシーに乗り込む。5分もかからないうちにホテルに着く、まだ時間が早いので、荷物を預けて散策に出る。地図を見ながら歩いて行くと15分でチャイナタウーンに着いた。なんと僕が台湾で朝食によく食べる焼餅、油條があるんじゃないですか、嬉しくてさっそく食べた。飲み物には当然暖かい甘い豆乳になる。スーパーを見つけ、帰るまでの飲み物を買った。それから果物やパンも、そして、タクシーでホテルに戻る。車椅子対応の部屋と一般的な部屋を見て、一般的な部屋を選んだ。その理由は一般的な部屋の方が海が見え、シドニーハーバーを見る事ができるから、それからバリアフリーの部屋はバスタブがなくてシャワーだけだった、やっぱりバスタブがほしい。部屋の通路もなぜか普通の方が広かった。荷物を解き、しかるべき場所に納め、部屋を使い易いようにレイアウトを変えた。 |
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2月12日(日)
朝6時には目が覚める、外を見るとまだ暗い、天気予報はサンダーストームが来る予定、シドニーハーバーを見ると雲が暗くどんよりとしている。雨は既に降っているようだが、朝食は昨日買って来たパンで済ませ、10時に散策に出る。天気は少しずつ好転して来ている。地図を見てチャイナータウーンに行くホテルから歩いて15分ぐらいの距離、2ブロック四方がチャイナータウーンになっているがその一角に入ったらそこはもうオーストラリアではなく中国人の世界である。ここには中国、香港、台湾の物はなんでも手に入る。ここだけは英語より各地ローカルの中国語が飛び交っている。お腹が空いたので1軒台湾の店にはいった。野菜不足ぎみなので野菜炒めとワンタンスープにピータン・トーフを食べた。目につくのは中華料理のレストラン、雑貨屋、不動産屋、ホテル、不動産、宝石屋、パン屋、それからおみやげ物屋が多い。日曜日でどこも人がいっぱい、観光客も多い疲れると日陰のベンチで休み、点心を食べる。ダーリンハーバーまで歩き、そして帰りの坂もすこしずつ上り、タクシーを利用しないでホテルまで帰った。夕方のシドニーハーバーはヨットやボート、観光船でにぎやか、2000年のパラリンピックを思い出した。あの頃はシドニーのチョピーの波とシフティーの風に悩まされ、シドニーハーバーの景色などを楽しむ余裕なんてなかった。あれから6年、いまの自分の状態は想像もできなかった。石橋を叩いて渡って来た自分が少しずつ変化しているようだ。シドニーパラリンピックで手伝ってくれたボランティアに会い、夕食を共にした。夜はホテルからの夜景がとても綺麗でずーっと眺めても厭きないぐらいだった。
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2月13日(月)
6時に目が覚め、7時に起きる。オーストラリアにいるのも後一日になった。1時間かけて絵葉書を書く、お世話になっている人達のみんなに全部出したいがそれは難しいので何人か選んで出すしか方法はない。そして、近くの郵便局で出した。この日記もあと3日間で終わりになる。日本に送ろうと思ったのですが256メガのメモリステックをなくしたので送る事ができない。残りの日記は全部日本に帰ってからになる。待ってくれている人達にはごめんなさい。日本に帰ったらなるべく早く送るのでそれまで待って下さい。
午後は友達と会って、オペラハウスからそう遠くない日本レストラン四季で昼食を食べたが食べたかったわりにはそんな美味しくなかった上、値段も高かった。天気がよかったのでそのまま帰るのももったいないので、フェリーの出入りする港付近、ハーバーブリッジがよく見え、2000年のパラリンピックレースの時はいつもハーバーブリッジの上にある二本の国旗で風をチェックしていたのを懐かしく思い出した。少し散策してタクシーを拾ってホテルに戻った。部屋から湾を見るとレースをやっているのが見える、艇種はわからないがレースの状況がよくわかる。月曜日の夕方にレースがあるのもオーストラリアだからかも、更に違うエリアで別のヨットのフリートもレースしている。普段の日も練習やレースができる環境があるから、強くなるのですね。夜寝るにはもったいないので、カジノに行く、1時間百ドルのペースで勝っていたので、帰りが夜中の3時になってしまった。 |
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2月14日(火)
昨日帰ったのが遅かったので、起きたのが9時。ついさきまで雨が降っていたようだった。天気が良かったら、ラッシュカッターズベイのマリーナに行こうと思ったのだが雨だったのであきらめた。どうしょうか考えた末もう一度運試しに行こうとなった。再びカジノへ、またまた勝ち続け、午後の3時トータルで600オーストラリアドル勝った、疲れたのでホテルに戻った。二日連続勝ったのでこれで前回のシドニーと合わせて三勝零敗の成績だった。ヨットより、ギャンブラーに転向した方がいいのではと思った。 |
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2月15日(水)
6時に起き、6時半にチェックアウトする。タクシーで一路空港へ、まだ早いシドニーの朝なので、車も少なく、30分もかからないで空港に到着。すぐチェックインをする。フライト時間が長いので、できるだけ両サイドの座席をブロックしてもらうように御願いする。満席でなかったので受付の人は快く両サイドの席を使えるようにしてくれた。それから探索しながらゲートまで、インジョン空港まで9時間は睡眠、読書、映画鑑賞、食事で時間はすぐ経ってしまう。途中で鹿児島、長崎の上空を通過した時はここで降ろしてくれと叫びたくなった。インジョン空港は夜の6時に着き、それから今夜どこに泊まろうかと散策、4階にはホテルがあって一泊6時間で五千円、シャワーだけのサービスもあったので車椅子が入るかどうかチェックをするために見てみたがスペースが狭くてだめだった。8時半お腹が空いたので食事をしょうと思ってレストランに入ったが職員は既に片付けに入った。営業時間9時までまだ30分あるのに、食べたい物を頼んだら作れないというので、作れる物の中から選んだ。食べたのが高菜が入っているスープとごはんにたくあんにキムチという寂しい食事になってしまった。それから荷物をすべてロッカーに預け、4階のトランジット客のソファーで寝る事にした。先客が何人かいたので寂しくはなかった。トランジット客は多くは3階の出発ロビーのソファーで寝ている。4階の方が人が少ないのでここにした。でもやはり個室ではないので、1時間置きに目が覚め、結局良く眠れなかった。
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2月16日(木)
7時レストランがオープンになったので、トーストとスクランブルエッグを食べる。預けた荷物を受け取り、そして福岡行きのアジアナのゲートを目指して行った。福岡へのフライトは1時間ちょっと。久しぶり日本の新聞を見る。別府行きのリムジンバスに乗り、午後の2時10分、北浜に着いた。舵社の江上さんはもう待ってくれていた。まずはこの三ヶ月の報告をした。この三ヶ月のトレーニングで得た物は沢山あった。世界のトップスピードを体験し、一緒に走れるようになったのは最大の成果。もちろん、課題も沢山持って帰って来た。これからの練習で一つずつクリアーして行く積もりだ。来年の世界選手権ではトップ5が北京行きの最後の切符を得る事ができる。とてもとても厳しいが一筋の希望を信じて、これから残りの一年半を練習して行く。
この3ヶ月間日記を書き続けて、今日が最後になりました。この日記を書くに当って、いくつかの目的がありました。それは私が行った所、体験した事、レースで学んだ事などを少しでも日本にいる人に伝えたかった。セーリングについては詳しく書く事ができないので、帰国後クリニックを開催しょうと思っています、私が学んで来た事を少しでも多くの人に伝えていきたい。三ヶ月という私の人生の中ではもっとも長い海外滞在でありました。この旅行で私は多くの新しい友人を得る事ができました。最後に私の日記に付き合ってくれたみなさんに感謝です。これで、私のオーストラリアダイアリーを終了します。
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